大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

長野地方裁判所松本支部 昭和50年(ワ)118号 判決 1977年5月12日

原告 小平寿水

<ほか四名>

右五名訴訟代理人弁護士 松元光則

被告 長野県

右代表者知事 西沢権一郎

右指定代理人 渡辺等

<ほか七名>

主文

被告は、原告小平寿水に対し金二〇〇万円、同小平幸司に対し金一九〇万円、同小平隆三、同大内純子に対し各金五〇万円及び右各金員(ただし原告小平幸司についてはうち金一五〇万円)に対する昭和四七年四月一四日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

原告小平隆司の請求を棄却する。

訴訟費用中、原告小平寿水、同小平幸司、同小平隆三、同大内純子と被告との間に生じた分は被告の、原告小平隆司と被告との間に生じた分は同原告の、各負担とする。

この判決の第一項は、仮りに執行することができる。

事実

(当事者の求める裁判)

第一、原告ら

被告は、原告小平寿水に対し金二〇〇万円、同小平幸司に対し金一九〇万円、同小平隆三、同大内純子、同小平隆司に対し各金五〇万円及び右各金員(ただし原告小平幸司についてはうち金一五〇万円)に対する昭和四七年四月一四日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

との判決と第一項につき仮執行宣言

第二、被告

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決と仮執行宣言が付される場合は担保を条件とする仮執行免脱宣言

(当事者の主張)

第一、請求原因

一、本件事故の発生

発生の日時 昭和四七年四月一三日正午ごろ

場所 長野県南安曇郡穂高町大字穂高四三六七番地の一先県道上

態様 小平源一が前記県道中の歩道(以下本件歩道という。)を歩行していた際、同歩道上に設置してあった下水口の鉄製の蓋(以下本件溝蓋という。)を踏んだところ、右蓋がはずれ、そのままその下にあった下水路(以下本件下水路という。)に転落して水死した。

二、被告の責任原因

(一)、本件下水路の位置及び状況

1、本件下水路は、県道穂高停車場線の歩道下に埋設されており、その下水は穂高駅前通り方面の下水と、穂高駅北西の水田用水の排水とが合流してきたもので、本件事故現場から更に東北方市街地の暗渠を通り、穂高川の西側で、北方わさび畑からの排水路と合流しながら南下して、穂高川と合流し、更に東方に流れて犀川と合流しているものである。

2、本件下水路は、幅九四・六センチメートル、深さ一・九五メートル、本件事故当時、水深約四〇センチメートルで、水の流れは時速約八キロメートルと早く、大人が小走りで走るくらいの速度である。

しかも、下水路の底には、ヘドロが付着しており、非常にすべり易い状態であった。

(二)、本件溝蓋の形状等

1、右蓋は、巾員一・五メートルの本件歩道の中央に位置しており、鉄製で、その大きさは一辺が一メートルの正方形であり、厚さ二・五センチメートル、重量二四・五キログラムで、路面と平になるように本件下水路の上にはめこむようなっている。

2、右蓋が落下しないようにするためのひっかかり部分は、二・七センチメートルであり、単に路面と平になるようにはめこまれていたのみで、止め金等の設備は全くなく、誰でも自由にはずせる状態であった。

3、従って、右蓋は自然にはずれることはないが、人為的作用によって、簡単に持ち上げたり、取りはずしたりすることができるもので、少しはずれているところに人が乗れば、当然本件下水路に転落する危険があった。

4、又、右蓋は格子状のもので、指が二本ぐらい入るような太目の格子であったので、これを取りはずすには、両手指を用いて容易に持ち上げることができた。

(三)、右蓋の設置に関する瑕疵について

右蓋は、被告が設置したものであるが、これについて次のような瑕疵があり、その程度は極めて大というべきである。

1、右蓋の位置が歩道上である以上、人の通行を当然とするし、何らかのはずみではずれても、一辺の長さをもっと短くすれば、前記源一は歩道につかまって下まで落ちないですんだはずである。一メートル四方の大きなものに設計したこと自体まちがっているし、そのような大きなものにする必要も理由もなかった。

2、右蓋には、はずれないようにするための止め金等の設備がなく、簡単に取りはずせるようになっていた。

右蓋が歩道上に存在し、かついったん落下したら深いためはい上れないような場所に設置する以上、最少限の安全を守るには、先ず止め金等ではずれないようにすることが必要である。被告は本件事故後簡単に取れないようにこれを固定したが、当然事故前にこの措置をなすべきであった。

3、本件溝蓋は人力で持ち上げられる程度の重量であったのに、その格子は指二本も入る太目のものであった。

本件事故は、小橋静子が、両手指二本を右格子のさんにひっかけて右蓋の片側を持ち上げ、これを完全に収納せず、はずれたままにしておいたために発生したものであるが、手指が入らないような細目の格子であれば、持ち上げるための引っかけ部分がなく、同人も右蓋を持ち上げたりしなかったものと思われる。

(四)、右溝蓋の管理の瑕疵について

1、本件歩道は昭和四七年三月二五日に完成し、被告がこれを管理していたが、完成後僅か一九日で本件事故となった。

2、その間、本件歩道脇にあるみのり食堂の経営者韓光子や従業員小橋静子らが、週一回ぐらいの割合で、右蓋を持ち上げてごみを本件下水路に流していたものである。

3、このように、右蓋を動かすことは、直ちに本件下水路に落下する危険に結びつくものであるから、被告としては、完成後の本件歩道、下水路、溝蓋の状態を巡回視察し、下水路上の歩道である特殊性を考慮して、改良等の措置を講ずべきであった。

特に、本件下水路は以前川になっていたのであり、沿岸の住民の一部が家庭のごみを川に流していたのであるから、それが下水路になったとしても、引き続いてそのような違反行為をする者があるかどうかについて巡回視察して調査する必要があった。

それにもかかわらず、被告は何らその安全性について調査検討しなかったから、本件溝蓋の管理に瑕疵があったというべきである。

(五)、よって、被告は原告らが本件事故によって受けた次の損害を賠償する責任がある。

三、原告らの損害

(一)、原告小平寿水の損害  二〇〇万円

右原告は前記源一の妻で、夫の不慮の事故死による精神的打撃は非常に大きく、その結果現在も病床についているので、その慰謝料は二〇〇万円をもって相当とする。

(二)、原告小平幸司の損害  一九〇万円

1、右原告は、母茂子が昭和二九年一月一七日死亡したうえ、父喜一が同三五年ごろ失踪したため、当時小学校三年生のころであった同原告は、幼稚園児であった原告隆司とともに、その後祖父である前記源一夫妻の手で養育された。

そして、原告幸司は高等学校を卒業するまで約九年間右源一と同居して父親のように慕い、源一も同原告を我が子のように育ててきたものである。その後、同原告は早稲田大学に入学したが、約二年後に退学して帰郷し、再び源一と同居して、家を継ぐことになっていたものである。

このように、同原告は、幼児期から青年期の最も親を必要とする時期に、源一夫婦に養育されたもので、源一とは密接な特別の生活関係にあった。

従って、同原告は本件事故により実父の死亡により通常うけるべき精神的苦痛よりも一層深甚な精神的苦痛を受けているものであり、その慰謝料としては一〇〇万円が相当である。

2、又、右原告は右源一の葬儀費用五〇万円を支払い、同額の損害を蒙った。

3、更に、同原告は本件事故に関し、訴訟外で被告と損害賠償の交渉をしたが、示談が成立しなかったため、弁護士を依頼せざるを得なくなり、本件事故の手数料(他の原告らの分も含む。)として二〇万円、成功報酬として認容金額の一割の支払いを約したので、本件に関する弁護士費用の損害は、少なくとも合計四〇万円となる。

(三)、原告小平隆三、同大内純子の損害  各五〇万円

右原告らは、前記源一の子であり、本件事故による慰謝料は、各五〇万円をもって相当とする。

(四)、原告小平隆司の損害   五〇万円

右原告は前記源一の孫、原告幸司の弟であり、前記(二)1記載の事情により、幼稚園時代から高等学校卒業まで右源一に育てられたので、原告幸司と同様に、右源一と密接な特別の生活関係にあり、同人の死亡により強い精神的苦痛を受けたから、その慰謝料は五〇万円が相当である。

四、よって、被告に対し、原告小平寿水は二〇〇万円、同小平幸司は一九〇万円、同小平隆三、同大内純子及び同小平隆司は各五〇万円及びこれら(ただし、原告幸司についてはうち一五〇万円)に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四七年四月一四日より右各支払いずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第二、請求原因に対する答弁

一、第一項の事実を認める。

二、第二項(一)1の事実を認める。

同(一)2の事実中、本件事故当時の水深が四〇センチメートルであったこと、及び底にヘドロが付着していて、非常にすべり易い状態であったことは知らない。流速は時速八キロメートルではなく、約四・四キロメートルである。その他の事実は認める。

第二項(二)1の事実は認める。

同(二)2の事実中、本件溝蓋が誰でも自由にはずせる状態であったことは否認し、その他の事実は認める。

同(二)3の事実は争う。

同(二)4の事実中、本件溝蓋を容易に持ち上げることができたとの点を否認し、その他の事実は認める。

第二項(三)の事実中、本件溝蓋を被告が設置したこと、右蓋が本件歩道上にあり、これに止め金等の設備がなかったことは認め、その他の事実は争う。

第二項(四)1の事実は認める。

同(四)2の事実は知らない。

同(四)3の事実は争う。

原告らは、本件溝蓋の設置につき瑕疵があると主張するが、右主張は次のとおり理由がない。

水路は一定期間経過すると、流下する土砂類が堆積して流下能力が低下するのが一般的であって、本件下水路のような暗渠においては、これに備えて清掃用のマンホールを設置して溝蓋を付することが管理上必要である。又、都市部においては火災等不慮の事態に備えて、防火用水として利用できるよう可動溝蓋を付することが必要となる。

そして、都市部における道路においては、堆積土砂の排除作業は短時間のうちに行なわなければならない。本件下水路の断面を考慮すると、水路は作業員一名が入れる程度の大きさであるから、マンホールを中心として両側へそれぞれ五、六メートルが作業員一名の作業範囲と考えられるので、本件下水路のマンホールは、約一二メートル間隔に設置したものである。なお、右の間隔は昼間作業時に点灯することなく作業ができるよう、明りとりの点からいっても適切なものである。

また、本件マンホールは、清掃作業員が梯子をかけて出入りする口でもあり、堆積土砂の土揚げ作業口でもあるから、一辺の長さが本件程度(約九五センチメートル)は必要である。

又、本件溝蓋は、一メートル四方の正方形で、重量約二五キログラムの格子状の鉄製のものであって、マンホールのひっかかり部分にはめ込まれていたものである。従って、本件溝蓋は自然にはずれることはなく(歩道上に設置されているから、自動車の振動によってもはずれることはない。)、何者かが故意にはずさない限り安全なものである。本件溝蓋が格子状になっているのは、力学的にも優れるうえ、降雨時の水切りができ、日が当るため流下する農業用水の温度を上昇させ、管理上も蓋を取らずに水路の状況をある程度把握できる等の利便があり、本件歩道が極めて人通りの少ないことも考慮すると、本件下水路に設置されたマンホールの蓋としては、適切なものであった。

本件事故は、小橋静子(過失致死罪などで有罪判決が確定している。)がごみを捨てるため、故意に本件溝蓋をはずし、しかも完全に収納しなかったことが原因で発生したものである。右小橋の行為は、廃棄物の処理及び清掃に関する法律一六条二号に違反するばかりでなく、道路法四三条二号に違反し、同法一〇〇条三号により刑罰をもって禁止された行為であるから、道路管理者としては、白昼堂々と行なわれる右のような違法行為まで予測して、溝蓋を設置しなければならない義務はなく、結局本件溝蓋は安全性に欠けるところはなかったというべきである。

原告らは、本件歩道の管理に瑕疵があったとも主張するが、右主張は次のとおり理由がない。

被告は、本件歩道を含む県内の県道につき、定期的に、又は必要に応じて、パトロールを実施しており、又、工事請負会社の行なうパトロールの監督もしているので、本件歩道の管理に瑕疵があったとはいえない。

原告らは、本件下水路にごみを捨てる者があるかどうかについて巡回視察すべき義務があると主張する。

しかし、右の行為は、前記のとおり刑罰をもって禁止された違法行為であるうえに、当時前記小橋が勤務していたみのり食堂付近のごみは、穂高町が、みのり食堂から約一〇〇メートルの位置にある赤羽三治宅の南側広場において、毎週火曜日及び金曜日の午後に無料で収集していたものであり、又、本件事故以前に、付近の住民や通行人から被告に対し、右違法行為の通報がなされたこともないのであるから、被告において右の違法行為を予見して巡回視察すべき義務はないというべきであるし、しかも、前記小橋がごみを捨てた後わずか一時間五〇分後に事故が発生した本件においては、被告が管理瑕疵を問われる理由はない。

三、請求原因第三項(一)の事実は争う。

同(二)1の事実は争う。

同(二)2の事実は知らない。

同(二)3の事実中、示談が成立しなかったこと、及び原告らが弁護士を依頼したことは認め、その他の事実は知らない。

同(三)、(四)の各事実は争う。

第三、被告主張の抗弁

一、過失相殺

前記小平源一には、自己の足元を注視しなかったという歩行者として最も基本的な過失があったというべきであるから、損害額の算定に際しては、右過失を十分斟酌すべきである。

二、消滅時効の援用

1、原告小平幸司は、本件事故の日である昭和四七年四月一三日、加害者及び損害を知ったというべきであるから、同原告の本訴債権のうち、一〇〇万円(慰謝料)を超える部分、即ち九〇万円の債権(葬儀及び弁護士費用の損害)は、昭和五〇年四月一三日の経過とともに時効により消滅した。

2、原告小平隆司も右昭和四七年四月一三日に加害者及び損害を知ったというべきであるから、同原告の本訴債権は、昭和五〇年四月一三日の経過とともに時効により消滅した。

3、よって、被告は右各時効を援用する。

第四、抗弁に対する原告らの答弁

一、過失相殺の主張事実は否認する。

二、時効の主張事実中、本件事故発生の日の点を認め、その他の事実は争う。

第五、原告小平幸司の再抗弁

右原告が本訴で請求している葬儀費用の損害五〇万円については、同原告は被告に対し昭和五〇年四月一〇日その支払いを催告し、同年一〇月九日本訴で裁判上の請求をしたから、右債権の消滅時効は中断された。

第六、右再抗弁に対する被告の答弁

右再抗弁の事実中、本件訴提起の日の点を認め、その他の事実は争う。

(証拠)《省略》

理由

一、請求原因第一項(本件事故の発生)の事実は当事者間に争いがない。

二、同第二項(責任原因)についての判断

(一)、同項(一)1の事実は当事者間に争いがない。

(二)、同項(一)2の事実のうち、本件事故当時、本件下水路の水深が四〇センチメートル、水流の速度が時速約八キロメートルであったこと、及び水路の底にヘドロが付着していて、非常にすべり易い状態であったことは、《証拠省略》によって認めることができ、その他の事実は当事者間に争いがない。

(三)、同項(二)1の事実は当事者間に争いがない。

(四)、同項(二)2の事実は、本件溝蓋が誰でも自由にはずせる状態であったことを除いて当事者間に争いがない。

(五)、同項(二)4の事実は、本件溝蓋を容易に持ち上げることができた点を除いて当事者間に争いがない。

(六)、同項(三)の事実中、右蓋を被告が設置したことは当事者間に争いがない。

(七)、そして、《証拠省略》によれば、本件事故は、小橋静子が、本件溝蓋の格子の間に両手の指を入れ、その一端を三〇センチメートルほど持ち上げたのち、左手でこれを押えながら、右手でごみを本件下水路に投棄したが、右蓋を完全に収納しないまま、そこを立ち去ったため、通りかかった前記小平源一(明治二二年生れ)がこれを踏んだところ、これがはずれて裏返しとなり、同人が本件下水路に落ちた結果発生した事故であること、右落下を目撃した細野武が急いでかけつけ、本件及び付近の同種の溝蓋の隙間を通して右源一を探したが、見当らなかったので、更に付近の者の援助を得て捜索を続けたけれども、暗渠のため発見することができず、同人は約五キロメートル離れた犀川本流まで流されて、水死体となって発見されたこと、本件溝蓋及びこれと同一の構造からなる付近の溝蓋は、前記小橋のほか韓光子も、右小橋と同様の方法で、しばしばこれを持ち上げ、ごみを捨てていたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

以上の当事者間に争いのない及び証拠で認定した各事実、特に、本件溝蓋が歩道の中央部にあること、その下は暗渠をなし、深さ一・九五メートル、水深約四〇センチメートル、水流の時速約八キロメートルで、底にヘドロが付着していて非常にすべり易い状態であったこと、従って、人がいったんこれに落ちれば、発見救助することは必ずしも容易ではなく、通行者、特に老人、幼児などが死亡する危険が十分考えられること、にもかかわらず、本件溝蓋には、これを固定する設備が全くなく、重量が二四・五キログラムあるものの、婦女子一人でも、その格子に指をかけて持ち上げることが可能であり、現にそれがしばしば行なわれていたことを考慮すると、本件溝蓋は、歩道上の設備として本来有すべき安全性を欠いていた、即ち、被告の右蓋の設置には、瑕疵があったと認めるのが相当である。

被告は、本件溝蓋が、その性質、目的、効用などの点から、適切なものであった旨主張するが、そのような性質、目的、効用などを有していたとしても、歩道の有すべき安全性を欠いてよいとはいえず、又、右蓋をはずしてごみを捨てる行為が、被告の主張するような違法行為であるとしても、道路の利用上の一般性、公共性を考えると、そのような違反者があることも予想して右蓋の設置をすべきであったというべきである。

三、請求原因第三項(原告らの損害)についての判断

(一)、原告小平寿水の損害

《証拠省略》によれば、右原告寿水は、明治三八年生れで、前記源一の妻であり、右源一の不慮の死によって多大な精神的苦痛を受け、錯乱状態を呈するようになったので、通院して精神科医の治療を受けていたが、病状が思わしくないので、昭和四八年六月病院の精神科へ入院し、現在も入院のまま治療を受けているが、病状が快方に向かうきざしはないことを認めることができる。

右事情及び前記本件事故の態様、右源一の年齢などを考慮すると、右原告の慰謝料は、二〇〇万円が相当であると認められる。

(二)、原告小平幸司の損害

1、慰謝料

《証拠省略》によれば、右原告は、その主張のとおりの事情により、その主張の期間、前記源一夫妻に養育され、本件事故当時右源一と同居して同人のあとを継ぐ予定であったこと、その葬儀も同原告が主催したこと、即ち、右原告は右源一と特別に密接な生活関係にあったこと、その結果、右原告は右源一の死により深甚な精神的苦痛を受けたことを認めることができるので、本件事故の態様、右源一の年齢などもあわせ考え、その慰謝料は一〇〇万円が相当と認める。

2、葬儀費用

原告幸司本人尋問の結果によれば、右原告は前記源一の葬儀を主催し、その費用として少なくとも五〇万円を支払い、同額の損害を受けたことが認められる。

3、弁護士費用

右本人尋問の結果によれば、請求原因第三項(二)3の事実(ただし、示談が成立しなかったこと、及び弁護士委任の事実は、当事者間に争いがない。)が認められる。

そして、本件訴訟の難易、認容額などを考慮し、右弁護士費用のうち、四〇万円をもって本件事故による損害と認める。

(三)、原告小平隆三、同大内純子の各損害

《証拠省略》によれば、右原告らは、いずれも前記源一の子であり、本件事故当時それぞれ独立して右源一と別居していたが、原告隆三は右源一に対し毎月一万円の仕送りをし、同純子も右源一宅をしばしば訪問していたことが認められ、これらの事情と前記本件事故の態様、右源一の年齢などを考慮すると、右原告らの慰謝料は、各五〇万円とするのが相当である。

四、過失相殺の抗弁に対する判断

被告は、前記源一に、自己の足元を注視しなかった過失がある旨主張するが、右源一が歩道上を歩いていた以上、その足元を見なかったからといって、同人に過失があるとはいえないので、右抗弁は理由がない。

五、消滅時効の抗弁及びこれに対する再抗弁についての判断

(一)、原告幸司の葬儀費用の損害に基づく請求について

被告は、右損害賠償債権は、本件事故発生後三年を経過した昭和五〇年四月一三日、時効により消滅した旨抗弁するが、《証拠省略》によれば、右原告は、これよりまえの昭和五〇年四月一〇日、被告に対し右葬儀費用の支払いを催告したことが認められ、又、右原告が本件訴を同年一〇月九日に提起したことは当事者間に争いがないので、右時効は、同年四月一〇日中断されたというべきである。

よって、右原告の右再抗弁は理由がある。

(二)、原告幸司の弁護士費用の損害に基づく請求について

被告は、右損害賠償債権の消滅時効は、本件事故発生の日から進行し、昭和五〇年四月一三日その時効期間が満了した旨抗弁するが、右時効の起算日は、同原告が弁護士に対し報酬金の支払いを約した日と解すべきであり、《証拠省略》によれば、それは昭和五〇年四月ごろと認められるので、右抗弁は理由がない。

(三)、原告小平隆司の請求について

右原告がその主張どおりの慰謝料債権を有するとしても、本件事故発生の日が昭和四七年四月一三日であることは、当事者間に争いがなく、従って、右原告は同日損害及び加害者を知ったものと認められるので、被告の主張するように、右債権は、同五〇年四月一三日の経過とともに、時効により消滅したものと認められる。

よって、右抗弁は理由がある。

六、以上によれば、被告は、原告小平寿水に対し二〇〇万円、同小平幸司に対し合計一九〇万円、同小平隆三、同大内純子に対し各五〇万円及び右各金員(ただし、原告幸司についてはうち一五〇万円)に対する本件事故発生の日の翌日である昭和四七年四月一四日から右完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるので、右原告らの本訴各請求をいずれも認容し、原告小平隆司の請求は、理由がないので、これを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、仮執行宣言につき同法一九六条を適用し、仮執行免脱宣言は相当でないから、これを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官 田中清)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例